出世神社・浜松元城町東照宮

motoshirotousyougu_005皆さんご存知でしょうか。浜松に史上最強のパワースポットがあることを!!
そこは極小さな社殿が祀られている、50メートル四方のあまりにも目立たず、あまりにも知られていない遠江引間城跡「浜松元城町東照宮」。

それは450年以上もさかのぼる事、戦国時代。当時まだまだ無名だった二人のサムライが、後に大出世を果たし天下人となるドラマがここ引間城(浜松元城町東照宮)から繰り広げられていたのです。
引間城は駿河の今川の家臣飯尾豊前守が城主。その配下の松下家(浜松市南区頭陀寺町)に一人の青年が奉公していました。後の天下人「豊臣秀吉公」です。

まだ「猿」と呼ばれていたころの16才~18才の3年間、ここ浜松にて、初めて人に仕えていたのです。言わば秀吉公の初就職の場所が浜松だったという事です。

そしてその「猿」は主人に連れられ、引間城へやって来て皆の前で猿まねをし、城主の家族を笑わせたと史実が残っております(太閤素生記)。その後、秀吉公は3年間ここ浜松にて修行し尾張国へ帰り「織田信長公」に出会い、さまざまな困難を乗り越え大出世し天下統一を果たしていくのです。
 

motoshirotousyougu_003もう一人の天下人徳川家康公も生涯の出世ドラマにおいて、ここ引間城は欠かせぬ場所。1570年、徳川家康公が遠江攻略にて引間城を制すこととなり「浜松」と名付け浜松城を築城。城ができるまでの間、なんとこの引間城に住んでいたのです。全国探しても、徳川家康公が住んで寝食を行っていた場所で東照宮となっているところはここしか無いようです。
以来17年間築城された浜松城に居城し、さまざまな困難を乗り越え、幾多の戦を経験し天下人への礎を築いていったのです。

誰もが知っている秀吉公と家康公。この二人がまだ無名だった時代、唯一交差した地点それがここ遠江引間城(現在の浜松元城町東照宮)なのです。ここを拠点に二人の人生が変わったことは言うまでもありません。
この二人の天下人を送り出した史上最強の霊地「浜松元城町東照宮」。これこそが特別な場所まさに「浜松パワースポット」なのです。

この史上最強の霊地は出世の聖地「出世神社」と呼ばれ、こっそりここへ参拝に来て、様々な困難を乗り越えている話は今もなお絶えません。

この「出世神社」の話を静岡文化芸術大学 磯田道史先生がコラムとして書いてくださり、それが全国版の新聞に掲載されると、全国から多くの参拝者が訪れるようになりました。熊本や愛知県、東京、福井など全国各地からお越しくださっております。聞けば、天下人への興味や出世の成就を願っている方達ばかりではなく、受験や結婚、就職祈願でお越しの方も多く、記事を見て全国から探してお越しくださり念願成就したと、たくさんのご報告をいただいております。

motoshirotousyougu_008引間城阯は浜松城が築城された後、江戸時代は米蔵として使われていたようですが明治維新後徳川慶喜公の名代で、浜松藩代として任命された井上八郎氏(延陵翁)によって明治17年に東照宮が創建されました。太平洋戦争中の昭和20年の1945年に全焼失してしまいましたが、すぐに小さな仮社殿建立され、昭和35年の1960年に元城町の功労者 大石 力氏などのご尽力により再建されて現在に至ります。

浜松・元城町東照宮は元城町地区の氏神ですが德川家康公や事代主命(ことしろぬしのみこと)と大国主命(おおくにぬしのみこと)が御祭神として祀られておりまして、実は「商売の神様」でもあるのです。

大黒天や恵比寿神ですから、浜松を創った德川家康公ですから更に豊臣秀吉も出世の人生の転機となった場所であり、家康公と同じ交差地点。
 

まさに健康長寿 出世のパワースポット!!

そうですここ浜松・元城町東照宮は「出世神社」なのです\(^o^)/

大国主命(大黒天)

七福神の一神。米俵の上に乗り、頭巾(ずきん)をかぶり、打ち出の小槌(こづち)を持ち、大きな袋を肩に担ぐ像で表される。中世以降、大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一視されて広く信仰され、恵比須とともに福徳の神とされる。

事代主命(恵比寿神)

七福神の一神。商売繁盛(はんじょう)や豊漁・豊作をもたらす福徳の神。烏帽子(えぼし)をかぶり,釣り竿をもち,鯛をかかえた姿であらわされる。兵庫県の西宮神社では、蛭児(ひるこ)または事代主命(ことしろぬしのみこと)と習合して信仰される。恵比寿、夷、戎、蛭子とも書く。

スポット情報

住所
〒430-0946
静岡県浜松市中区元城町111-2

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